トヨタホームで新居を建てた名古屋市緑区有松の観光スポットを、引っ越して早々地元民を名乗るのもおこがましいですが、地元民ならではの視線で散策します。
有松の古い町並み(自宅から徒歩8分)
現在でも旧東海道の古い街並みが残る有松は、狭い路地の両側に、江戸末期に建てられた服部邸(愛知県指定文化財)をはじめ、江戸時代にタイムスリップしたかのような古い長屋、建物が軒を連ね、江戸時代の旅人気分を簡単に味わえるとても風情がある有松はぜひ一度は訪れて欲しい街です。
ただ「有松の街並み」はお勧めの観光地なんですが…やはりそこは大都市名古屋の町と道路で、(もちろん歩道・車道と分けられているハズもない)細い路地は国道1号線と並行していて、かつ名古屋第二環状自動車道&県道302号と交差しているため、両主要幹線道路の渋滞をショートカットする抜け道になってしまっていて、毎日の散歩(特に犬を連れての散歩)には少し危険になってしまっていることが地元民としては少し残念です。
有松の歴史
有松は、江戸時代以前は名前のとおり松林で、松に隠れた強盗に襲われる危険地帯でした。有松の隣駅(名鉄「中京競馬場前」駅)には桶狭間古戦場がありますが、戦国時代に織田信長が今川義元を奇襲した場所ですので、奇襲スポットになるくらい江戸時代以前はこの地区はあまり開発されていませんでした。
有松西側に尾張と三河の境目となる境川が流れてるのですが、水量が少なく農業に不向きで、昔は尾張方面からの開発は海(あゆち潟(がた))に面した鳴海や大高まで止まっており、尾張東端の東海道の宿場町は鳴海宿(なるみしゅく)(東海道40番目の宿場町)でした。
鳴海宿の次の宿場町は、平安時代から知立神社の門前町として、また物資の集積地として栄えていた三河エリアの池鯉鮒宿(ちりゅうのしゅく)(東海道39番目の宿場町)で、東海道とはいえその間10㎞圏は、江戸時代になり灌漑技術の発達で水量の少ない「境川」が農業地帯として開発可能になるまで寂れた場所でした。
しかし江戸時代になると政府の方針で反幕府系西国大名との対決の最前線になりうる尾張の開発、江戸と尾張を結ぶ東海道の整備は最優先課題となり、慶長五年(1600年)徳川家が東日本を掌握すると同時に、家康四男、松平忠吉を清須城主とし、尾張を事実上の直轄地にし、慶長十三年(1608年)鳴海宿と池鯉鮒宿の間の治安の悪かった10㎞圏エリアに間の宿(あいのしゅく)として有松を建設着手、慶長十五年(1610年)には名古屋城の築城を開始し、清須から名古屋に都市機能の移転を急ピッチで進める中で、有松は尾張再開発と一体で開発され名古屋のベットタウン、ニュータウンとして発展していきました。
そんな国の施策の中で有松に知多半島の阿久比の農民が移住させられましたが、街道警護のため武芸に覚えのある農民が選抜されたらしくあまり農民といっても農業は得意でなかった模様で、また東西10㎞圏内に正式宿場町鳴海宿(本陣1軒 脇本陣 2軒 旅籠屋 68軒)と池鯉鮒宿(本陣1軒 脇本陣 1軒 旅籠屋 35軒)があるので有松は宿場町としても発展が見込めなかった事などから、移住民は収入源を工芸品の開発に求めました。
名古屋城の築城(天下普請)のために九州から来ていた人々の着用していた絞り染めの衣装にヒントを得て、有松に移り住んでいた住人の一人である竹田庄九朗が、元々地元の工芸品だった三河木綿に、絞り染めを施した手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになったのが有松の工芸品「有松絞」の始まりです。
また、万治元年(1655年)に豊後(現在の大分県)より移住した医師三浦玄忠の夫人(戦後まで有松絞りと本家争いを繰り広げた「鳴海絞」開祖)によって豊後絞りの技法が伝えられ、有松の絞り染めは大きな進歩を遂げました。
その後、有松での絞り染めが盛んになるにつれ、鳴海などの周辺地域でも絞り染めが生産されるようになっていきましたが、この状況に対し有松側は尾張藩に他地域における絞り染め生産の禁止を訴えた結果、天明元年(1781年)尾張藩は有松絞り保護の名目で有松の業者に営業独占権を与えました。
この独占権のおかげで、有松は街道沿いの家が瓦葺き・塗籠造り(ぬりごめづくり)の防火構造、2階には虫籠窓(むしこまど)を設け、腰壁をなまこ壁にするなど豪壮な町並みとなり現在に残る景観となりました。
有松の観光スポット
有松の名物は重要無形文化財記録保存指定や伝統的工芸品産業指定を受けている「有松絞り」ですが、そのため有松には和の雰囲気に浸れる有松絞りの関連施設が旧東海道沿いに点在しています。
有松絞りの歴史を学べる施設(有松・鳴海絞会館)で、絞りを体験して自分だけの記念品を作ったり、旧絞り問屋の蔵の中に設置された石窯で焼かれた素朴で美味しいパンを食べたり(神半邸)、新旧が交わった可愛い有松絞り製品の中からお気に入りを探したり(まり木綿)、老舗の絞り屋で大人な色合いの製品に見とれたり(井桁屋)できます。
■有松・鳴海絞会館
有松絞りと鳴海絞りは江戸時代より互いに本家争いや販売、訴訟合戦を繰り返していましたが、1984年にこの有松・鳴海絞会館が完成し、名称に有松・鳴海を併記することで、本家争い・訴訟合戦に決着が着き、共に協力して行く体制となったそうです。
有松のレトロな町並みのおすすめ観光スポットは、有松絞りの売店があったり歴史資料などが展示されている「有松・鳴海絞会館」で、伝統工芸士による絞り実演も行われています。
施設紹介文には「年齢や男女を問わず見学者が多く訪れます。希望者は予約制で絞りの体験をすることもできます。」と書いてありますが、見学者の年齢はかなり年配の方に偏っており、若者はほとんど見かけません笑。絞りハンカチなどを購入できるお店も併設されています。
有松・鳴海絞会館
愛知県名古屋市緑区有松3008
052-621-0111
9:30~17:00
絞りまつり前後、12〜3月の水曜
■神半邸
「神半邸」は、旧絞り問屋商家の神谷半次郎邸の蔵をそのまま残し、蔵の中にオリジナルの石窯を設置し、手作りパンの製造販売をしているパン屋さんです。手作りのフルーツ酵母を使ってるそうで、固めの独特の風味のパンです。
■まり木綿
百種以上の技法がある有松鳴海絞りの中でも、板締めを中心として作られたかわいらしい柄の絞りを多く取り扱っています。伝統を継ぎつつ、新しい有松絞りの世界を楽しめます。
ラインナップも小物や手ぬぐい、地下足袋などが中心で、若い人でも有松絞りを身近に感じられるものになっています。
まり木綿
愛知県名古屋市緑区有松1901
052-693-9030
10:00~18:00
火・水曜
http://marimomen.com/
この記事へのコメントはありません。